「大丈夫」「自信もって」とか、安心できる言葉を、10回でも100回でも、しつこいほど繰り返し言われないと安心できない。
別に動けるけど、不安でもどんどん動けちゃうけど、少しでもその不安を突き刺すものが飛んでくると、外側に向けていたエネルギーの矢印が、ぜんぶ内側を向いて、破壊を始めてしまう。
幸せを感じれば感じるほど不安になって、「自分ばかりがこんなに楽しい時間を過ごしていいのだろうか」と、冷静に見ている自分がいる。
いますぐこの幸せな時間から不幸へと走り出して、闇の中に走って、消えることが出来たなら、誰か他の人が幸せになれるかもしれないのに、と思う。
でもそんなことも出来ず、幸せを噛み締めてしまう。
なぜこんなに、自分の幸せが許せないのだろうか。
今では昔よりも許せている。許してるつもりでいる。
でもやっぱり付きまとうのは、幸せになることへの罪悪感。
人生の最初に信じていた幸せが崩れ去ってから、自分の幸せを願えなくなった。
楽しいとか嬉しいとか、そういう感情を感じていたら、壊されるものだと思っていた。
幸せを感じれば感じるほど、壊されそうで、失うことが怖くなるから、それなら最初から幸せを感じなければ、ずっと変わらずにいられると思ってた。
幸せになるために生きてるとか、何度も聞いてきたのに、自分だけはそこに当てはまらないんじゃないかとか考えちゃうから、まだ安心するには回数が足りてないんだと思う。
とか、こんなことを考えたりしながら生きてきて、気づけば、親が私の親になった年齢も超えている。まだ私は親になる気配もないけど。
楽しい時間の一つひとつが嘘みたいで、夢のようで、当たり前になってるものがひとつもない。全部、いつでも終わる可能性があると思って噛み締めてる…と言うと重く考えすぎなのかな。
他の人の誕生日は、よく覚えているほうで、心から「おめでとう」って思うけど、自分の誕生日は、いやいや私事ですからお気になさらず…と思っちゃう。そんなことよりもっと大事な出来事とか予定がこの世には溢れてるのに、自分なんかに意識を使われるなんて勿体ない…とか思っちゃう。
かと言って、今日は自分の誕生日だ!と強くアピールしまくるのも違うなと思ってるけど、いつもどんな気分で過ごせばいいか分からなくなる。
祝ってくれる人がいると、「こいつ誕生日だからって浮かれてる」と思われないように、いつも以上に控えめになるし、ミスをしないようにと慎重にもなるし、迷惑かけないようにと周りを気にしすぎてしまう。
長々と書いたけど、自分は誕生日を迎えた。
何度も人生が終わりそうなタイミングがあったけど、救われてばかりいる。
誰かを助けたり救ったり出来るほどの凄い人間にはなれないけど、近くの人をほんの少しでも幸せな気持ちにしていきたいと思っている。
あと、何回か引いたおみくじや、周りの人からも「待て」「焦るな」「大丈夫だから待て」と言われることが多い一年だったし、自分でも無駄に急ぎすぎて余裕ないなと思ってたので、もっとその時々をのんびり楽しみながら過ごしたいと思う。
特に急ぐ理由もない。予定に追われてるわけでもない。
人生はあっという間かもしれないけど、生き急ぐ必要もない。