現代はネット社会。電車やバスでも見渡せば、みんなスマホに視線を向けているし、自分もそのうちの一人だ。
知りたい情報は何でも手に入る一方、正確さに欠けるデマ情報でも簡単に拡散されて信じられてしまったり、1つの意見が業界全員の意見であるように捉えられてしまうことも、増えてると感じる。
他人や流行に惑わされず、正確な情報を見極められる力と、自分自身の考えを信じる力が必要になっている。
学生時代、先生から配布された記述式のプリントで、こんな疑問を投げかけられた。
「ネットには嘘の情報も多いが、より確かな情報を得るにはどうしたらいいと思う?」
私は「学校の先生に聞く、図書館の本を読む」と答えた。
学校の先生は、人に教えることが仕事だから、その人自身が勝手に関係の無い豆知識などを入れてこない限り、嘘を教えることはないと考えた。
また、図書館に行けば古めの本もあったりするから、その知りたい情報の元をたどるにはちょうどいいと思った。
プリントの解答を見た先生も同意していた。
基本的に私が信じているのは昔から変わりなく、生身の人間と紙媒体だ。
だまそうとする人間もいるし、雑誌や新聞でも間違った情報が掲載されてしまうことはあるだろう。
それでも私は人間の心と紙のあたたかみ、存在感を信じる。
私は、ネットで検索することが必ずしもベストだ、とは思っていない。
「ggrks」というネットスラングがある。
「Googleで検索しろ〇ス」という意味だ。
人に聞くより、検索したほうが早いということだろう。
でもそこに出てくる情報が100%あっているとは限らない。
自分は「ggrks」というネットスラングが流行っていた時代を生きてきたが、先に書いた通り、ネットで検索することがベストだと思ってないので、すぐ近くに解決できそうな人がいたら聞くようにしている。
聞く相手は大体自分より年上の方だが、ここ数年、その年上の方々からこう言われた。
「自分でググって」
「若いんだからググりなさい」
「ググった方が早いよ」
あのさ。。。
みんな、ネットのこと信じすぎじゃない?
あと若い=ググると決めつけられるのもなんか自分としては納得いかない。
年上の方々がそう言うのには、理由があると思う。
①言葉通り、ググッたほうが情報を得られるスピードが早い
②聞かれたことについて私は知らないからネットに聞いてくれ
③知ってるけど説明するのが面倒
①は情報の確実性に欠ける場合がある。が、仕事など効率を求める場面においては、ググるほうが良いこともたくさんあるし、仕方ない。自分もググることはよくある。
でも②と③だった場合は冷たさを感じる。
「聞かれたことについて私は知らない」
↓
「知らないことを知る気もない」
という意味にも感じるのは私の考えすぎだろうか。
その情報がその人に関係ないことならそれでもいいけど、関係あること、知っていて損のないことは、一緒に知ろうと思ってくれてもいいんじゃないかと私は思ってしまう。
「知っている人に聞く」が1番、そこに血が通っている感があっていいんだけど、
どうしてもググる場合、
「聞かれたことについて私は知らない」
↓
「ちょっと調べてみるね」
↓
「なるほど!こういう事らしいよ!」
自分『ありがとうございます!』
「いやいや、こちらこそ勉強になったよ!知らないこと知れたからさ!ありがとう!」
これが理想の流れ。世界。
何が違うって、人間同士のやり取りがあることだ。
「ググりなさい」って言われたら、自分ひとりでググって終わりだ。自分 対 ネットだから、そこに生身の人間は一人しかいない。つまり心と心が繋がってない。
ネットはどこまで行っても機械だ。
機械が全滅しない限り半永久的に存在するだろう。
でも人間は今の時代でも、生きて100年ちょっと。そして残念ながら100年生きない人もいる。
人間は、一緒に過ごしたり話したりできる時間が限られている。自分の命にも限りがある。
どうせ一度きりの人生なら、人間同士で仲良く出来る方が温かくていい!
そこに人がいるって安心するじゃん!(人によるけど)
人の心は様々で、どこまでも複雑で理解できないことも多いけど、だから面白いし、心があるし感情がある。表情が見える。
ひとつの質問から2ラリー、3ラリーと会話が広がったら楽しいじゃないか。
ちなみに私は、昔の時代は良かったね、、、なんて言える年齢では無い。私が学生の時にはネット社会になっていた。
でも、大人になってからネット社会になったはずの年上の方々が「ググれ」と言うし、年賀状も自分含め書く人が減っているし、もう人間同士のやり取りは面倒くさがられる時代になってしまったんだろうな。
このブログを書いてる場所も、ネットだしなあ。
技術が進んでいくほど、レベルの高いデマ情報もあふれていく。
正しさを見極める力もレベルアップしていかないといけない。
ネット社会を生きていく為には、そうするしかない。
私はググりながらも、人間と紙媒体を信じ続ける。人に聞くことをやめない。
そこには確かさよりも、あたたかみを求めている。