青色茶碗

思考回路をクールダウンさせるために文字を打つブログ。AM0:00~AM8:00の間に投稿

永遠は無く、簡単に崩れる

長年続くものは、当たり前のようにそこに存在し続ける。

でも当たり前のように存在し続けるには、色んな人の協力や熱意、誠意、運も必要なのだと思う。必要なものはもっとあるはずだ。

 

その積み重ねが安定的であればそこに長く在り続ける。

積み上げるのには時間がかかるのに、崩れるのはいつも一瞬。ひとつの事で簡単に不安定になる。

 

順調に物事が長く進み続ける時。それは自分の実力でもあるけど、全てを完全に一人で進め続けるなんてほぼ不可能だと思ってる。

そこに人が見えなくても遠くにいる。

紙にペンで何かを書くにしても、紙を作る人と、ペンを作る人、またはその会社などが存在する。それを販売するお店がある。

たどればこの生活は、絶対誰かに支えられている。わざわざ毎日毎分毎秒たどって全てのものに感謝してる人はいないと思うが、

「遠くても近くても支えられている」ということを忘れ、欲にまみれたとき、積み上げてきたものは簡単に崩れていく。崩れ去る、ことはなくても何かしらどこかしら崩れる。

 

長年続いたものに終わりがきた時、その報せを聞くたびに、やはり永遠はないんだなと、当たり前のことではあるんだけど思う。

始まったものは終わる。いま終わらなくてもいつか必ず終わる。いつになるかは分からない。

喜怒哀楽も、その時に感じてから永遠に続くものでは無い。

喜びも永遠ではないけど、苦しみも永遠じゃない。

覚えてほしくないけど、忘れられたくない

祖母から久々に連絡が来た。

「元気にしてるの?」

「恋人とか作ったりしてるの?」

ザ・親戚といった感じの質問をされて何となく答えていたら、祖母がこんなことを言い出した。

「いつ会いに来るの?」

会いには行きたいんだけど、距離が結構あって、さらに生活のこと考えたらなかなか行くタイミングを作れないんだよね。

「私、最近目が見えなくなってきたの。あと認知症っぽいみたいでね。近くに置いたものをすぐに忘れて、目の前にあるのに探しちゃったりするのよ。」

 

祖母はずっと自分の中で50代くらいのイメージだった。イメージというだけで、実年齢は知らなかった。年齢以外に大事なことがあると思ってたから知らなかった。

 

ついでに聞いてもなかったけど、祖母の今の年齢を聞いて驚いた。祖母は、もう還暦など、とっくに超えていた。

 

「○○(私)は、いくつになったの?」

年齢を聞かれた。これが加齢による物忘れで聞かれてるのか、それとも私が祖母の年齢を知らなかったのと同じように、私の年齢を単純に知らなかったのかは分からなかった。

 

私は親戚たちのことをあまり愛していない。

どちらかが死ぬ前に会いたいなと思ってなくはないけど、親戚たちと一緒に過ごした時間は、良い思い出の割合が少ない。行くたびに、「もう二度と行かない」と決めて帰ってきていた。

 

会えるうちに会った方が、人間としてはあたたかいだろうけど、私はそこまであたたかくなれない。

だから、もし周りの人が長期休暇中に帰省しなかったとか、家族と仲が悪いとか話していても、それを否定しないし、形は違えども心の中では共感すると思う。

 

親戚とは必ずしも定期的に会わなくていいと思ってる。

祖母から「会いに来てくれないと私もうすぐ死んじゃうよ」と言われた。

祖母には申し訳ないが、私はまだ会う気になれない。そもそも、祖母がどの程度私のことを大事に思ってるかが見えない、分からない。大事に思われてる感が無い。複雑な事情があるので説明しきれないけど、まだ今じゃないと思ってる。

 

祖母とはこんな感じだけど、昔お世話になった人には会いたいと思ってる。

でも、その人の所在が分からない。

連絡しても、通じないだろう。

数年前に知り合いから聞いた話で、もう私のことを忘れてしまったそうだ。

他の人のことも、私が会っていた時期に何をしていたのかも、忘れてしまったと聞いた。

 

仮に会っても、その人にとって私はすでに知らない人だから、急に来たら困らせてしまうだろう。

 

それでも私は会いたい。でも周りの人々が許すかは分からない。

 

まだ記憶があるうちに、普通に連絡を取り合えていたうちに、会いに行けばよかったかもしれないが、お互いのタイミングが合わなければ再会することも叶わない。

 

子どもだった私のことを心配し、見守ってくれていた大人たちは、いつの間にか高齢者となった。もう会えない人もいる。これからも会えなくなる人は増えて、私のことを覚えてる人もいなくなっていくだろう。

 

他人の記憶から私という存在が消えていくことがかなしいから、だったら最初から私の存在など薄いものであっていいと思ったりもした。今でも時々思っている。

記憶されることを恐れ、忘れられることも恐れている。

生きてるうちは覚えてもらったほうが良いことが多い気がする。

どうせ最後はひとりになるんだから、今ぐらいは覚えてもらってていいかもしれない。

気合い入りすぎて全身が かゆくなってきた

最近とてもやる事が増えた。

ブログを更新する余裕は残してあるけど、体より頭を使うことが多くて、ずっと去年から毎日同じことを考え続けていたりもする。

 

あれもやるぞ!これもやるぞ!

全部成し遂げてやらぁ!

 

最近特にそんな気持ちが高まり気合いが入ると同時に、体にも異変が起きてきた。

昨日書いた記事では、めまいとか、息苦しさが突然現れると書いたけど、またそれとは別に、全身がかゆい。

自分の体を鏡で見ると、かゆい場所が、かいてないのに全て赤くなっていた。

乾燥してる可能性も考えて、保湿もしてみたが特に効果はなく、ずっとかゆい。

心の勢いに体が追いついてない。

いま考えてることを成し遂げた時には、心だけの存在になってるかもしれない。

とりあえず今度病院に行こう。

人の多い場所でクラクラする

つい最近。

人が多くて混雑している場所にいると、めまいと冷や汗、息苦しさなどの症状があらわれるようになった。

 

公共交通機関を利用していたとき、混雑していたので、つり革につかまり立っていたのだが、ヒューンと、めまいがやってきた。

「脳が酸欠状態」と言われたことがある私は、その類の症状かと思い、その場で深呼吸をしてみた。が、悪化した。

ギリギリ倒れるほどじゃないけど、冷や汗も出てくるし、なんか手は小刻みに震えてるし、口周りが痺れていた。

倒れるほどじゃない。座りたいけど、自分の体調不良により席を譲ってもらうなんて申し訳ないなと思って、なんとか耐えた。

降車して外を歩き始めたら、少しだけマシになった。

 

この症状が出るのは立っているからか、と思ったが、お笑いの賞レースの予選会を観に行った時にも起きた。

座って観劇していたところ、ヒューンと、めまいがやってきて、手の指先や表情が震え出した。深呼吸を試すも悪化。

座っているのに倒れそうな感覚になった。でも倒れるほど深刻な状態でもなく、どうにか耐えた。

 

 

脳の酸欠状態じゃなきゃ、これは何だ?

 

 

チャットGPTに症状を説明し、なんの病気だと思うかを聞いてみた。

するとGPTは「過呼吸(過換気)症候群」の可能性があるのではないかと言った。

 

過換気(かかんき、Hyperventilation)とは、体内で生成される量よりも多くの二酸化炭素を排出させるような異常な呼吸のことであり、呼吸数や1回換気量の増加により生じる。

Wikipediaより引用)

 

そして過呼吸(過換気)症候群の主な症状が、めまいや冷や汗、息苦しさなどだ。手足や口が痺れてる感じになってるのも、それに含まれるらしい。

 

この症状がでる原因は、精神的なストレスや、体の疲れらしいが、自分はそんなに体を動かしてないので、おそらく前者。

対処法としては、リフレッシュすること。

賞レース中にも症状が出たということは、リフレッシュ時間だったのにもかかわらず、変に緊張しちゃってた部分が無意識にあったのかもしれない。

以前、整体師に「体が常に緊張状態でいる」と言われたが、それは今でも変わらないようだ。リフレッシュって難しい。

「自分でググって」の正しさと冷たさ

現代はネット社会。電車やバスでも見渡せば、みんなスマホに視線を向けているし、自分もそのうちの一人だ。

知りたい情報は何でも手に入る一方、正確さに欠けるデマ情報でも簡単に拡散されて信じられてしまったり、1つの意見が業界全員の意見であるように捉えられてしまうことも、増えてると感じる。

他人や流行に惑わされず、正確な情報を見極められる力と、自分自身の考えを信じる力が必要になっている。

 

 

学生時代、先生から配布された記述式のプリントで、こんな疑問を投げかけられた。

「ネットには嘘の情報も多いが、より確かな情報を得るにはどうしたらいいと思う?」

私は「学校の先生に聞く、図書館の本を読む」と答えた。

学校の先生は、人に教えることが仕事だから、その人自身が勝手に関係の無い豆知識などを入れてこない限り、嘘を教えることはないと考えた。

また、図書館に行けば古めの本もあったりするから、その知りたい情報の元をたどるにはちょうどいいと思った。

プリントの解答を見た先生も同意していた。

 

基本的に私が信じているのは昔から変わりなく、生身の人間と紙媒体だ。

だまそうとする人間もいるし、雑誌や新聞でも間違った情報が掲載されてしまうことはあるだろう。

それでも私は人間の心と紙のあたたかみ、存在感を信じる。

 

私は、ネットで検索することが必ずしもベストだ、とは思っていない。

 

「ggrks」というネットスラングがある。

Googleで検索しろ〇ス」という意味だ。

人に聞くより、検索したほうが早いということだろう。

でもそこに出てくる情報が100%あっているとは限らない。

 

自分は「ggrks」というネットスラングが流行っていた時代を生きてきたが、先に書いた通り、ネットで検索することがベストだと思ってないので、すぐ近くに解決できそうな人がいたら聞くようにしている。

聞く相手は大体自分より年上の方だが、ここ数年、その年上の方々からこう言われた。

「自分でググって」

「若いんだからググりなさい」

「ググった方が早いよ」

 

あのさ。。。

みんな、ネットのこと信じすぎじゃない?

あと若い=ググると決めつけられるのもなんか自分としては納得いかない。

 

年上の方々がそう言うのには、理由があると思う。

①言葉通り、ググッたほうが情報を得られるスピードが早い

②聞かれたことについて私は知らないからネットに聞いてくれ

③知ってるけど説明するのが面倒

 

①は情報の確実性に欠ける場合がある。が、仕事など効率を求める場面においては、ググるほうが良いこともたくさんあるし、仕方ない。自分もググることはよくある。

 

でも②と③だった場合は冷たさを感じる。

「聞かれたことについて私は知らない」

「知らないことを知る気もない」

という意味にも感じるのは私の考えすぎだろうか。

その情報がその人に関係ないことならそれでもいいけど、関係あること、知っていて損のないことは、一緒に知ろうと思ってくれてもいいんじゃないかと私は思ってしまう。

 

「知っている人に聞く」が1番、そこに血が通っている感があっていいんだけど、

どうしてもググる場合、

「聞かれたことについて私は知らない」

「ちょっと調べてみるね」

「なるほど!こういう事らしいよ!」

自分『ありがとうございます!』

「いやいや、こちらこそ勉強になったよ!知らないこと知れたからさ!ありがとう!」

これが理想の流れ。世界。

 

何が違うって、人間同士のやり取りがあることだ。

「ググりなさい」って言われたら、自分ひとりでググって終わりだ。自分 対 ネットだから、そこに生身の人間は一人しかいない。つまり心と心が繋がってない。

 

ネットはどこまで行っても機械だ。

機械が全滅しない限り半永久的に存在するだろう。

でも人間は今の時代でも、生きて100年ちょっと。そして残念ながら100年生きない人もいる。

人間は、一緒に過ごしたり話したりできる時間が限られている。自分の命にも限りがある。

どうせ一度きりの人生なら、人間同士で仲良く出来る方が温かくていい!

そこに人がいるって安心するじゃん!(人によるけど)

人の心は様々で、どこまでも複雑で理解できないことも多いけど、だから面白いし、心があるし感情がある。表情が見える。

ひとつの質問から2ラリー、3ラリーと会話が広がったら楽しいじゃないか。

 

ちなみに私は、昔の時代は良かったね、、、なんて言える年齢では無い。私が学生の時にはネット社会になっていた。

でも、大人になってからネット社会になったはずの年上の方々が「ググれ」と言うし、年賀状も自分含め書く人が減っているし、もう人間同士のやり取りは面倒くさがられる時代になってしまったんだろうな。

このブログを書いてる場所も、ネットだしなあ。

 

技術が進んでいくほど、レベルの高いデマ情報もあふれていく。

正しさを見極める力もレベルアップしていかないといけない。

ネット社会を生きていく為には、そうするしかない。

私はググりながらも、人間と紙媒体を信じ続ける。人に聞くことをやめない。

そこには確かさよりも、あたたかみを求めている。

渋谷の無限大ホール

よしもと無限大ホールの存在を知ったのは学生の頃。

当時ハマっていたピースやパンサーが、無限大ホールに出ていることを知って、いつか行こうと思った。

 

それからだいぶ経ち、2017年6月。

初めて無限大ホールに行った。

この日は、おばたのお兄さんの浮気が報道された日だったが、その おばたのお兄さんが出演するライブをたまたま観に行くことになった。

報道のインパクトと、ネタ中のザワつきが面白すぎたので、他のことをあまり覚えていない。

 

それが、はじめての無限大ホール。刺激的だった。あと思ってたより広くて、すり鉢状の座席からはステージが見えやすかった。

 

その後、終電を気にしなくてもいい年齢と感覚になってから、又吉直樹さんの「実験の夜」も見に行けた。ずっと見に行きたかったライブだった。無限大ホールで又吉さんを観ることも夢だった。

直近では、3年前に開催された、青春コントライブ「この高鳴りをなんと呼ぶ」を観に行った。ルシファー吉岡かが屋空気階段など豪華メンバーの青春コントはどれも甘酸っぱく、衝撃もあったりして面白かった。

 

無限大ドームにも行った。

当時の勤務先に、吉本の所属で芸人なりたての人が働いており、その人の誘いで初めてバトルライブを観に行ったり、こがけんさんとギフト☆矢野さん、マツモトクラブさんの3人でやっていた、即興コントのライブを観れたことも良い思い出だ。

 

春には無限大ホールが閉館してしまうらしい。

今のところ行く予定は無いけど最後にもう一度だけ行きたいという気持ちはある。でも閉館が近づくにつれて、チケットの競争倍率もあがりそうだから、難しいのかな。あと、よく分かってないけど、無限大ドームも同時に無くなるのだろうか。

 

初めて無限大ホールに行ってから8年。その後他の劇場へ行く機会もあり、無限大ホールの形状は特殊だったんだなと気づいた。

地下へ続く階段を降りていく時の鼓動を覚えている。思い出しただけで、ここによみがえってくる。

慣れた恐怖、一生慣れない恐怖

子どもの頃、水に顔をつけることが怖かった。

お風呂でもシャワーの水が顔にかかるのを嫌がり、シャンプーハットは小学生になったばかりの頃も使い続けていた。

プールの授業は泣くほど嫌だった。プールに入る前に、シャワーのトンネルみたいなものを潜らないといけなかったが、みんながキャッキャと楽しみながら浴びる中で、自分だけシャワーを目の前に立ち止まり泣き出してしまったこともある。

中学を卒業する頃になってようやく、顔が濡れることに対しての恐怖は消えていった。

 

こうして最初は怖くても、時間の経過とともに慣れていけば怖く無くなるものがある一方で、何度経験しても慣れないものがある。

それは、自然のおそろしさだ。

 

 

幼少期の頃、家でひとり、戦隊ごっこをして遊んでいたら、部屋の電気のヒモが視界に入った。

あれ?ヒモが揺れてる。

なんだろうなと思いながら、隣室にいた親の元へ行って報告した。

「なんか、でんきのヒモゆれてるよ」

すると親が言った。

「いま弱いけど地震があったんだよ。揺れてたの気がつかなかったの?」

そこで私は初めて、地震というものを意識するようになった。

 

それから年月が経ち、東日本大震災も経験した。

以降、周りの同級生は、何度も来る余震で揺れに慣れたらしく、授業中に少し揺れたところで机に潜る人はいなかったし、震度3か4ぐらい揺れても「あ、揺れてるー」と言う程度で、かなり冷静だった。

揺れても揺れなくても、怖がってる人はいなかった。

一方で私は、余震が来れば来るほど恐怖が倍増。夜中も冷や汗をかいてほとんど眠れない状態が続いた。そして他の人が「え?いま揺れたの?」と思うような僅かな揺れや、近くの道路をトラックが通った時に起きた一瞬の振動でさえも、いち早く気づいてしまうほど、敏感になった。

自分の心臓の鼓動ですらも揺れと勘違いして勝手に恐怖を感じるほどになってしまった。

 

冷静を装っても装いきれず恐怖が表情や指先からにじみ出てしまう。

揺れを感じたくなくて無駄な動きをしてしまう。慌てて外に飛び出したりはしないけど、その場でジタバタしてしまう。それぐらい怖くて苦手。

 

なんでみんな冷静でいられるんだろう。

実は心の中では怖がってるのか?いや、そんな声も聞いたことがない。

事が落ち着くと、恐怖の対象とは全然関係の無い話をしてるし、自分も家族や友達からそういう話をされたことがない。そういう話をしてるのは自分くらいかもしれない。

冷静に行動するように、とは言われてるし自分も心がけてるけど、自分ほど恐怖を抑えきれてない人など、周りにはいない。

周りは「ああ、はいはい揺れてるね」みたいな感じでいるから、怖いと思ってる自分がおかしいのかと思ってしまう。

 

同じ食べ物を食べすぎて嫌いになった、みたいな感覚に近くて、私は恐怖を感じる出来事が重なれば重なるほど、耐性はつかず慣れることもなく、恐怖は倍増するし、心の傷も深くなっていく。思考回路がフリーズしちゃう。

 

日本に住んでる以上仕方の無いことだとか、叱られることに慣れなさいとか、色々聞いたことがあるけど、何かしらの痛み(心の痛みも含む)を感じる出来事に対しては一生慣れていけないと思っている。私はそんなに強く出来てない。脆い脆い。

何度転んでも立ち上がるので強くもあるし、厳しく指導すれば伸びると勘違いされたこともあったけど、圧倒的に褒められて伸びる人間だし、恐怖よりも喜びを感じていたい。

少しぐらいの恐怖は自分の中で力に変換できる可能性もあるけれど、強い恐怖は無い方がいいに越したことはないと思う。