青色茶碗

思考回路をクールダウンさせるために文字を打つブログ。AM0:00~AM8:00の間に投稿

終電後、社会人であることを実感

 

1年に3、4回ほど、終電を逃すことがある。

仕事が長引いたり、遅めの時間から飲みに行ったり、ライブの終演時間が終電ギリギリだったり、理由は色々。

 

社会人になったばかりの頃は、こんなことは無かった。まだ未成年(20歳未満)だったし、周りの20代30代の皆さんも気を使って早めに帰らせてくださった。

 

変わり始めたのは20歳になる頃。バイト先の上司と付き合い始めて、一夜を共に過ごすようになったあたりで「ああ、こうして大人になっていくのかあ(色んな意味で)」と思った。

それから、学生時代には行けなかった、21時過ぎから始まるライブに、終電を逃す覚悟で行くようにもなった。途中までは電車で帰れるけど、それから先どうしようかな、タクシーで帰ろうか、友達に電話してみようか...と考える夜もなんだか楽しかった。

近年は、すぐ帰るのはもったいないような気がして、満喫に泊まるか、体力があれば始発までその土地で飲むこともある。

満喫に泊まるときは漫画を読まない。パソコンもそんなに触らない。中途半端に潔癖症なところがあるので、リクライニングシートとか、靴を脱いで上がらなきゃいけない部屋とかも、グッと耐えて身を預けてる。掃除されてるのは分かるんだけど、それでもやはり色んな人が使う場所・空間ではあるから、ちょっと抵抗がある。

でも、そこで眠り、始発の少し前に目覚めて満喫から出た時、まだ街があまり動いてない中で家に帰るというのが、特別感があってワクワクする。その快感を得るために満喫に泊まる、みたいなところもある。

 

酒はそこまで強くないので、朝まで飲むことはあまり無いのだが、先ほどと同様に、しっかり酔いが回ってる状態で朝を迎えた時の異世界感がたまらない。街の動きに逆らって生きてるみたい。みんなこれから仕事したり、遊んだりするのに、自分はこれから家に帰って寝る...快感、背徳感。

未成年では味わえない感覚。

年々、少しずつ夜の街の過ごし方、始発までの過ごし方が私なりに上手くなってきてるような気がして、これが社会人かあ、大人かあ、などと思っている。

でもまだ夜の街に対して若干緊張している。この緊張がほぐれて、より心から楽しめるようになった時、私は街に染まり、社会に染まったことになるのだろう。

染まるところは染まるけど、個性とか自分の信念は、他者や環境に染まらず、自分のものとして持ち続けていきたい。