青色茶碗

思考回路をクールダウンさせるために更新するブログ。AM0:00~AM8:00の間に投稿することが多いです。

めぐり逢えた

物心ついた時から、80年代、90年代の邦楽をよく聴いていた。

10代前半ぐらいまではロックに偏っていたけど、ある日、当時好きだった有名人のブログを見た時に、中山美穂の「ただ泣きたくなるの」をお勧めしていたので気になり、レンタルショップでCDを探し、家に帰ってすぐ再生した。

スローテンポな曲はあまり好んでなかったが、いざ聴いてみたら「あっ、好き」って思った。高い声が透き通ってるように感じた。

あなたの部屋の前   座りこんだら

なんて静かなの   恋の入り口みたい

歌詞に心が溶けて切なくなった。あの有名人もこのような気持ちで聴いていたのかな、と思ったり、歳を重ねたらまた違う感覚になるのかな、とも思った。

それから、ロックを中心に聴いていた私の中に、音楽の革命が起こり始めた。

 

ただ泣きたくなるの」を先にフルで聴いて、「世界中の誰よりきっと」をフルで初めて聴いたのは、そのあとだった。

サビだけは何度も聴いたことがあって、そこを聴いただけでもすごく惹かれていた。

まぶしい季節が  黄金色に街を染めて

君の横顔   そっと包んでた

聴けば聴くほど、歌詞が素敵で、好きな人達、好きなもの、この世にあるもの、見えてるものがキラキラと輝いて見えた。

まためぐり逢えたのも  きっと偶然じゃないよ

心のどこかで待ってた

好きな人に逢えること。話せること。声を聴けること。共に楽しい時間を過ごせること。笑い合えること。この世に生きてくれていること。同じ時代に生きていること…。

全てが愛おしくて、嬉しくて、幸せなことだと思った。

世界中の誰よりきっと   熱い夢見てたから

目覚めてはじめて気づく  つのる想いに

世界中の誰よりきっと  果てしないその笑顔

ずっと抱きしめていたい  季節を越えていつでも

 

 

世界中の誰よりきっと」を聴いたことで、1990年前後の印象がかなり変わったように思う。ひたすら、カッコ良さばかりを感じていたところに、スパンコールのような、シャンデリアのような、まぶしい光の粒が降り注いだみたいだった。

 

今でも聴いてる定番の曲。

カラオケに行ったら絶対歌ってる。

 

今年に入ってから、人との縁が切れたり遠ざかったり、一方で再び繋がったり、久々に再会できた人もいて、例年よりも慌ただしかった。

「離れても縁があればまた繋がる」というのは時々聞く話だったが、本当なんだなと思った。

また逢えた時は本当に嬉しくて。自分にとって大切な存在だったんだと改めて気づいた。

それでいつも以上に「世界中の誰よりきっと」をたくさん聴いていた。

 

初めて聴いた10代前半頃とは、感覚が異なる。

周りが結婚していく中で、環境も変わっていく中で、焦りは無いけど、物理的に誰かといても独りだなとか、最後に死ぬ時もひとりだよなとか、そんなことを考えたりしていた。

だからこそ人と繋がることの有難みや、表面上の繋がりを超えて、心と心で繋がりあえることの凄さを強く感じていた。

 

世界中の誰よりきっと」を聴いてなかったら、私は人との繋がりなど意識せずにいただろうし、1990年前後の印象も、かなり違っていただろう。

私から見えている世の中を輝かせて、愛を教えてくれた存在のひとつだ。

 

いまは、あのスパンコールのようなシャンデリアのような煌めきが、ひとつの灯りが、

ふっ、と消えてしまったように、とても寂しい気持ちになっている。

 

いや。消えた、ではなくて、遠くなったのかもしれない。

遠く触れられない、見えない場所に、いってしまったんだ。

 

再生機器で曲を再生したらいつでもそこに中山美穂がいる。歌声が聞こえる。この文章も、ずっと「世界中の誰よりきっと」を聴きながら書いている。

確かにこの世に存在していた証明。

存在していた、という過去形を、まだ信じられない。

すべて過去になっていく。

生きている自分は前に進むことしかできない。

こんな大変な世の中でも、大切な人達には、すこしでも長く生きていてほしいと願っている。そしてそれ以上にと言っていいか分からないけど、幸せでいて欲しい。日々が幸せなものであって欲しい。

自分のことは多少どうにかできても、他人のことは、願うことしか出来ない。無力だろうか。いや、願うだけでもきっと意味があると、そう思いたい。

遠く離れたとしても、まためぐり逢いたい。どこかで。