普段使っているスマートフォンが故障した為、修理に出し、代替機を利用し始めたところ、Xの下書きが完全に消えてることに気づいた。
これは推奨されてないことだろうけど、私はXの下書きを半分メモ代わりに使っていた。
パッと思いついた思考をとりあえず、メモではなくXを開いて書き、文字数制限に収まりきるかどうか試し、そしてこれをポストするかどうか迷い、結果的にポストしないことを選ぶことがほとんどだった。
メモアプリにメモするのと違うのは、自然感。
メモを開くと「よし!メモするぞ!書くぞ!」というモードになり、考えすぎてしまう。
考えすぎたら、止められない限り考え続ける。少し疲れてきても、どこか体が痛いとか、めまいがするとか、物理的なストップがかからない限り作業だったり書くことを続けてしまう。
一方で、Xを開いて何かを書く時は、考えがふわふわっとしている。
今はもうXの世界など変わり果てていて荒れた場所としか思えないし、泥水に渋々浸かるぐらいの感覚でいるけれど、私がTwitterを使い始めた頃は、もっと平和的な世界がそこにあって、気軽に思い浮かんだ日常のなにかをつぶやけていたし、私の周りでもそのような人が多かった。今ほどTwitterが影響力のない世界だったと思う。欲しい情報だけ見て、ゆるーく反応する。それが簡単に出来て許されていた。
話が逸れたが、Xの下書きは、どこに保存されていたのだろうか。
機種を変えただけでこうなるということは、きっと、アプリそのものに一時的な保存がされていただけで、アプリを消したら消えてしまうようなものだったのかもしれない。
でも、それでいいのか?ほかのデバイスからポストしたいってなった時にも、下書きは使えないということだろう?不便じゃないか?
決めた、決めたぞ。
もう、Xの下書きをメモ代わりにしない。
そもそもXはメモアプリでは無いからね。
私はそもそもXという呼び名も、ポストという呼び方も、未だに体に馴染んでおらず、Twitterって言っちゃうし、ツイートって言っちゃう。
告知する方々は「公式X」「リポスト」って普通に言えてるからスゴイなぁって思ってる。
はてなブログを始めたのも、Xそのものが自分の中で受け入れ難い存在になりつつあるから、というのもある。
はてなブログは下書きがしっかり保存出来るからいい。機種変しても残り続ける下書きだ。他者との繋がりも、近すぎず遠すぎない。
SNSが手軽なものになってから、人どうしの距離感が物理的には遠くなってるはずなのに、気持ちの面では近すぎるように思う。
見知らぬ人のバズったポストに好き放題リプを書いてる人がいると良くも悪くも凄いなと思う。
そのような時代の流れに身を任せたほうが、乗った方が、置いていかれないのかもしれないけれど、私は見知らぬ他人の領域に馴れ馴れしく入っていくようなことはしたくないし、時代を少しだけ逆行している人間でもあるから、いまいち乗っかりきれない。言葉を交わすのは、好きな人達とだけで充分。
また話が逸れたけど、Xの下書きはザッと100件ほどあったわけで、それが消えたということで。
そんな所にメモ感覚で書き残していた自分が悪いんだけど、まあ、消えたことはショックだよ、というお話。
思いついたことはメモ帳に書こうね。