自分以外の何かになることが好きかもしれない。
主に人間では無いものになりたい。
高校生の時、部活動の新入部員を勧誘する期間があり、さて何をして宣伝しようかと考えた結果、ピエロのお面を自分で作ることに決めた。
所属している部活動が園芸部であったことから、案山子(カカシ)をイメージし「せっかくなら楽しい雰囲気にしよう」と考え、ピエロっぽい絵柄を書いてそれをお面にした。
放課後、ピエロのお面に麦わら帽子を被って廊下を歩いた。部活動の勧誘期間が終わってからも度々被っていた。
「誰?誰?」
「これ、見えてるの?」
校内ですれ違う生徒や先生は、困惑したり怖がったり、お面の中身が誰なのかを見破った人は驚きながらも笑っていたり、少数だが可愛い〜と言う人もいた。
普段の私は、成績優秀で真面目に見られることが多く、ハシャぐことなど有り得ないほど静かだった。
そんな普段の私が絶対に見られないであろう、人間のリアクションを、お面を通して見れたことや、自分じゃない姿を見てみんなが笑ってくれてることが、なんか嬉しかったし、楽しかった。
就活中には、着ぐるみが着れるかもしれない「遊園地」や、大好きなお笑いの「劇場スタッフ」「マネージャー」などを中心に求人を見ていた。でも尊敬していた学校の先生達から説得され、選択肢から除外することにした。
それからは人間として、ただ生身の自分自身として、色んな場所で働いたが、「あの作業をしてくれて助かった」とか「手伝ってくれてありがとう」「○○さんの代わりに出勤してくれてありがとう」とか、そういう行動に対しての感謝やお褒めの言葉をいただいても、やってよかったなぁとか嬉しいなどとは思わなかった。なにも感じなかった。
自分が褒められてるはずだけど「これは業務モードによって褒められてるだけであって、別に本当に心から有難いとは思って無いのだろうな」と、冷めたことを考えていたから、なにも感じなかったのだろう。
人間である私は弱い。
みんなのストレスのしわ寄せみたいなものは、私で解消されることが多かったように思う。「私をマトにすることでみんなが幸せになる」みたいなことは何度もあった。
きびしい世の中。いや私が弱いだけか。どちらにしても、この世を人間の自分として生きていくには、心も体も痛すぎて、簡単に何度も傷つき潰れた。
この世の中を生きていくためには、心や魂を防御できる装備が必要で、
それが私にとって「自分以外のなにかに変身すること」なのかもしれない。
RPGでも装備品によってキャラクターが勇者っぽく見えたり、セクシーに見えたりして印象が変わるし、特定のキャラのセリフが変わったりもするけど、それと同じように、私が私じゃないなにかに変身すると、それから受ける言葉は中身の自分じゃなく表面のなにかに対するものとなる。
そしてみんな、モンスターとか2次元のキャラクターとかに対してなら、対人間の時よりも緊張を緩めた状態で接してくれる。
遊園地で働いたことは無いけど、自分で作った着ぐるみを着てみたり、配信アプリでVTuberになったりした時、生身の人間として見るよりも、目の前の世界が優しく感じられた。自分以外のなにかになっていることが楽しい。
自分を自分と分からないままに笑ってくれたり何かしらのリアクションをしてくれたりもする。
自分が楽しませてるわけじゃないけど自分のことで楽しんでくれている。複雑なんだけど嬉しい。
生身の自分の存在に関しては何も思われない(気づかれない)ことがほとんどになるので、若干の寂しさはあるけど、まあいいんだ。
色んな「なにか」になってるからか、私の存在は人の記憶からも消えやすかったりする。
同級生と久々に会い、あの頃の私だと言っても思い出してくれないかもしれない。
でも私はどこにでも居たりするかもしれない。
姿かたち、名前も変えて、きっと今日もどこかでなにかに変身している。