青色茶碗

思考回路をクールダウンさせるために文字を打つブログ。AM0:00~AM8:00の間に投稿

おとなしすぎる孫、静かに見守った祖母

中学生の時、祖母が亡くなった。

 

12月だった。学校が早めに終わったので、遊びにでも行こうかと思っていたら、携帯に父から敬語のメールが届いた。祖母が亡くなったことをしらせるメールだった。

当時すでに、私の両親は離婚していて、私は基本的に母と暮らしており、週末だけ父の家にいた。

 

祖母は若い時から病を患っていて、長年通院していた。入退院も繰り返していた。

 

私は、祖母のことが苦手だった。

私も真面目な性格だが、祖母は私以上に真面目というか、別に怒られてもないんだけど、なぜか怖い雰囲気があった。

祖母に会う度にいつも緊張して、「おばあちゃーん」なんて無邪気に言いながら抱きつくとか、そういった可愛らしい孫ムーブが全然出来なかった。ぎこちない笑顔しか作れなかったし、正月でも寝顔も見せないように、だらけないようにと努力していた。

 

いま思うと、子どもらしい可愛さがなかった孫の私を、祖母は突き放すこともなく、無理に接触をはかろうともせず、ただ静かに、そっと見守ってくれていたのかもしれない。

 

亡くなる1年ほど前、父とは別々に住んでいた祖母だったが、体調が悪化してきたということで、父の家に暮らすことになった。

 

土曜のお昼は、親が仕事でいなかったのだが、祖母が私のためにハンバーグを焼いてくれたり、オムライスを作ってくれることが多かった。美味しかった。

私はご飯を食べても特に「おいしい」も言わず、黙々と食べる人間だったが、祖母は食べ始めてすぐに「おいしい?」と聞く以外、話しかけず、お茶をすすりながら、少し離れたところで私を見たり、テレビを見たりしていた。

 

ある時 私は、勉強机に設置していたクリップ式のライトを、落として割ってしまったことがあった。

激しい音がしたが、そこも冷静な私。「ああ。片付けないとな。」と心の中で思い、ゴム手袋とほうきを探そうとした。

でも探す前に祖母が来て、ライトが割れてることに気づいた。

祖母は私を怒ったりせず、危ないから触らないようにと私に伝えてから、さっさと片付け始めた。

私は祖母のことを「親戚」だと分かっていても、接する機会が少なかったがゆえに、他人と同じぐらいの距離感でいたので「ごめんなさい」も「ありがとう」も言えなかった。(詳しくは昨日の記事を参照)

 

距離感や接し方を、私に合わせて、静かに見守ってくれていた祖母。

 

冬に入る頃。体調を崩した祖母は入院し始めた。

父が祖母を病院へと連れていく際に、必要なものをまとめるため、別居していた祖父も連れてきたらしい。そして貴重品や入院に必要なものをまとめたが、この時、祖母の結婚指輪が紛失したらしく、皆で焦ったそうだ。

 

その後、指輪が見つからぬまま、転院。

転院する前から、週末になると病院へお見舞いに行っていたが、転院先にも、父と一緒にお見舞いに行った。

祖母は意識があったが、体のところどころが変色していた。それでも話し方はいつもと変わらなかったので、これは一時的な症状なのかもしれない、と勝手に思った。

祖父もいた。結婚指輪が見つかったらしく、ホッとしていた。祖母のポーチの中に入っていたらしい。

私はこの時も、ほとんど話すことは無かったが、これが祖母に会った最後の時だった。

 

その数日後。12月。

父から、祖母が亡くなったことをしらせるメールが来た。

 

家族葬が執り行われることになった。

当日。父の兄が私の姿を見るなり駆け寄ってきて、私の背中をポンっと軽く叩きながら「おばあちゃんに挨拶してあげてな」と言葉をかけてきた。

 

部屋に入ると、そこに祖母が眠っている箱があった。

祖母の顔を見て泣く親戚。

私も祖母の顔を見た。なにも考えずに見た。

本当に眠っているかのようで、でも、生きてないことは分かっていて、魂の抜けた人形を見ているかのようだった。

 

亡くなった人の顔をしっかりと見れたのは、この日が初めてのことだった。

もっと幼い頃に亡くなった曾祖母の顔は、事情があって誰も見れなかった。

亡くなった人の顔を最期に見れることは奇跡なのかもしれない。もう話せなくても、見れるだけで幸せなのかもしれない、と思った。

 

しばらく、一緒にその部屋で過ごしたあと、火葬の時が来た。

祖母が眠る箱が、火葬炉のなかに入っていく。

「(あれ。曾祖母が亡くなった時は手動で入れてたような気がする。いまは自動で入っていくのか。)」

そんなことをぼんやりと思う余裕があった。

でも、このあと何が起きるのかを改めて想像すると、急に、恐怖とかなしみが込み上げてきた。

これから祖母が燃えて灰になる。

この前まで当たり前のようにこの世に、近くにいた祖母が。

 

気づいたら私は泣いていた。

そのあとのことは、あまり覚えていない。

 

でもその日。寿司を買ってもらい、親戚たちと食べることになったが、私はほとんど、食べれなかった。恐怖とかなしみで、胃がとても気持ち悪くなっていた。夜にはピザを食べようということになったけど、それもほとんど食べれなかった。

そのことだけ覚えている。

 

祖母が亡くなってから10年以上経った。

もうすぐ祖母の命日。

 

祖母が亡くなったあと、父方の親戚たちは、バラバラになってしまった。

私が連絡を取りあっていた親戚たちとは連絡が途絶えており、父についても連絡を取れていない。

 

特にしらせが無いということは、みんな生きてはいるのだろうけど、今のところ、私は特に会いたいと願っているわけではない。

 

こんな私のことを、いまでも祖母は、

遠くから静かに見守ってくれてるのだろうか。

別人になることで声を発せる

満員電車で、人混みの中をすり抜けないと降りられない時、人が道をふさいでいたら、どうするだろうか。

おそらく多いのは、「すみません、降ります」と言いながら降りていくパターン。あっ、この人は降りたいんだな、とすぐわかる。これが一番スムーズだろう。

 

頭ではわかっている。

でも私は「すみません、降ります」が言えない。

言えないというより、声が出ない。

言おうとすると、喉の手前で言葉が止まって消えていってしまう。

 

そもそも声が出ない、というわけではない。

ただ、人前では声が出なくなってしまうのだ。これは、子どもの時から続いている。

 

例えば、授業で発言をする時。手を挙げることはあまり無かったが、それでも稀に手を挙げたとき、そこで指名されたら、かなり緊張はするけど、それでも落ち着いて考えを述べることが出来ていた。

しかし、急に指名された時、一応発言はできても、発言する前に言葉が突っかかるような感覚になって、自ら手を挙げたときよりもスムーズにいかないことがあった。

 

あと一番声が出ない場面は、公共交通機関に乗った時。

冒頭にもあったとおり「降ります」が、どんなに困っても言えない。高校生の時でも言えなくて、私の代わりに近くにいたお姉さんが「降ります降ります〜!」と声を上げてくれたこともあった。

 

おそらく、他人が大勢いる場所が苦手なのだと思う。色々と気にする性格でもあるので、それも関係してるかもしれない。

 

私が言えない、言いにくい言葉

  • 「降ります」
  • 「通ります」
  • 「後ろ通ります」
  • 飲食店を出る時に「ごちそうさまでした」
  • 呼び鈴がないお店で店員さんを呼ぶ
  • 周りに複数人いる中で、注文や希望の商品を伝える
  • 「お先に失礼します」
  • 「お疲れ様です」
  • 「こんにちは」
  • 「こんばんは」
  • 「おはようございます」
  • 「ありがとうございます」

 

たぶん、他にもある。

個人的に、こりゃあ良くないなぁと思うのが「ありがとうございます」を言えてない時があること。口だけ動かせても声が出てないことが多い。感謝の気持ちでいっぱいでも、それをその場で伝えることが難しくなってしまう。

「お先に失礼します」なども、職場の同僚を前にして言おうとすると突っかかることが多くて、その突っかかりを乗り越えようと力を込めていると、不思議そうにこちらを見ている同僚がいたりして、焦ったりしている。

 

子どものときからこんな感じで、さらに親戚や友達の家に遊びに行っても、暴れることは無く、黙って正座をしていた。

小学生のときに神社でお祭りがあって、屋台をまわっていたら、クラスメイトとすれ違った。相手は私に気づいて名前を呼んでくれながら手を振っていたのに、私は相手の名前も言えず、手も振れなかった。

「中学、高校に入ればキャラ変するよ」

そうやって周りの大人からは期待をかけられていたが、実際の私は中学でも高校でも、明るくキャラ変することはなかった。

 

かわりに「ピエロのお面をつけて校内をうろうろ」することはあった。

部活動の勧誘を兼ねていた。お面をつけている間は、ほとんど喋ることがなかったものの、普段しないような動きを自然としていた。

さらに当時アルバイトに行く時は、その道中で「今日の私は、○○さん」と、特定の誰かのキャラを自分の中にインストールしていた。すると不思議と素の自分でいるよりも、比較的スムーズに話せていた。

 

このあたりで気づいたのが「別人になりきっている間は、声が出やすい」ということ。

しかも普段ぎこちない動きまでなめらかになる。なんとなく、心にバリアを張ったような感覚にもなって安心感が増す。

毎回インストールが上手くいくわけじゃないけれど、それでも意識するだけでだいぶ声の出方が変わったりする。

 

特定の場面で声が出ないのは、なにかの症状で、名前がついてるのかもしれないが、正確には何なのか分からない。

分かったところで、長年このような状態だから、治るにしても時間がかかると思っている。

 

ちなみに、インストールするキャラや特定の人物次第では、周りに引かれてしまったり、同一人物なのかと疑われたりもするが、見慣れていただくしかない。

初詣でお願いしたことはひとつも叶わない

今週のお題「今年の目標どうだった?」

 

結論から言うと、年始に掲げていた目標は、あまり達成できなかった。

「もっと仕事を頑張る」というような目標を初詣の時に心の中で強く強く願ったのだが、年始早々に謎の体調不良が判明し、打ち砕かれた。今はかなり元気になったけど、それでも今年の大半は体調不良に悩まされた。動き回れば回るほど、その反動でダウンしてしまう…という感じではあったが、毎回体調を崩すわけでもなく、毎日がギャンブルみたいな状態だった。

 

ところで、毎年では無いが、初詣に行くことがある。

その時に目標を心の中で宣言したり、絵馬に書いたりしている。

しかし私の場合、初詣でお願いしたことは実現しない。したことがない。出来たことがない。

 

「高校受験、第一志望の高校に合格しますように」

→不合格で夜間の高校へ。

「公務員試験に面接まで合格出来ますように」

→倍率高すぎて面接で不合格。

「同期の○○さんと付き合えますように」

→少し経ってから、○○さんに恋人がいたことが判明。

 

何度か繰り返してるうちに「これは誰にも言わず願わずのほうが、叶うのではないか?」と思うようになり、初詣に行って手を合わせても、何も考えなくなった。

 

思えば、学校で年始や年度始めに書かされた目標も、特に実現できたことは無かった。「じてんしゃに、のれますように」なんて、未だに実現出来ていない。

 

初詣のときだけ神社に行くこと。

これがいけないのかもしれないが、かといって、頻繁に行くことも出来ず、結局年始だけになってしまう。

そもそも神様にお願いしたからって、叶えるのは自分の力次第なところもあったり、運次第だったりで、必ず叶うというわけじゃない。

じゃあ初詣に行かなくてもいいじゃないか、という話になるが、おみくじが引きたい。でもおみくじだけ引いて帰るのは神様に失礼な気がする。おみくじだけ引いて帰った記憶は一度もない。

おみくじの優先度、重要度が、初詣に行くかどうかを決める。年明けまでに何となく考えておこうか。

 

とりあえず、来年の目標の中で特に達成したいことに関しては、誰にも明言せず、心の中で燃やし続けていようと思っている。その方が頑張れそうなのでね。

秋の景色、体感は冬

この間、街で木々の葉が、からからと降っていた。写真に収めようとする人もいたが、私は写真を撮らずに五感でそれを感じながら歩いた。葉っぱってこんなに一気に落ちるものだっけ、と思った。信号が青になって渡っている時も、風に乗って大量の葉が降って来た。

もう12月。まだ秋の景色だなあと思っていたが、さすがに寒くなってきた。

今年は夏が長めだったけど、やはり12月になると結構寒くなるものだな。

 

秋に着て丁度いい服があるけど、着ないうちに冬が来た。

部屋は極寒になりやすいので、暖房は前から付け始めていたが、それでも朝方は寒くて目が覚めるようになってきたので、湯たんぽを使い始めることにした。

 

洗ったあとの洗濯物がつめたい。

最初に入れなければいけなかった粉洗剤を、最後に入れたことで溶けきらず服に白く洗剤の線が入っていた。

洗剤の入れる順番も関係してるが、水が冷たくなったきたことも関係してる。長めに洗濯機を回してないと洗剤が溶けなくなってきた。

そんな季節。

つまりは冬。

 

外では、まだイチョウの葉っぱが落ちてない木も見かける。これは、例年通りなのだろうか。絵を描く時に、紅葉を描く流れでイチョウも描いたりするから、秋っていうイメージが強いのだけど。

まだドングリも見かける。

小トトロが描かれたニットを発見…かと思ったら、それは小トトロではなく、オバケのような格好をしているミッフィーだった。秋に引っ張られた。

 

まだ秋の景色っぽさは残っているけど、風は冷たく、水も冷たい。

自分の心まで冷えきってしまいそうだが、そこは凍えることなく、常温よりあたたかい状態を保っていたい。保温。

 

あたたかい季節が恋しい。

 

スマホが修理から戻ってきた

昨年の冬、砂利道にスマホを落として画面全体にヒビが入ったが、そのままにしていた。

でも、落とす前と後で明らかに操作感が悪くなっていたので、これは新年を迎える前に何とかしておきたいなと思い、携帯ショップに行った。

・戻ってくるまでの期間は正確には分からないが、2〜3週間ほどかかること

・修理の内容次第では料金が発生すること

これらに同意して自分のスマホを預け、代替機を受け取った。

 

壊したのは自分の不注意なので仕方ないことだが、代替機は全く手に馴染まなかった。

私は同じメーカーで同じシリーズのスマホを使い続けている。機能も少しは気にしてるが、一番はサイズで選んでいる。

私は手が小さいほうなので、あまりデカすぎたり、縦持ちした時の横幅が広かったりすると片手で操作できない。両手で器用に文字を打ってる人を見るとすごいなぁって思うんだけど、自分は基本的に、片手の親指を素早く動かすことで操作しているので、片手でどれだけ操作しやすいかが重要になってくる。

いま自分で選んで使っているものは、細めなので片手で持ちやすくて気に入っている。

今回の代替機は、縦持ちした時の横幅が広い上に、代替機ゆえ色んな人が使ってきたからなのか、タップとスクロールの判別がうまくいかなかった。色々噛み合わなかった。

 

修理に出していたスマホは、結局2週間もかからないうちに戻ってきた。

やっぱりこのシリーズのスマホが使いやすいなと改めて思った。めちゃくちゃ手に馴染む。動画や写真、録音する時も、専用アプリの機能が充実してるので、そのあたり素人でありながらも良い感じに撮れたり録れたり出来てる気がする。

だから私は、XperiaXperiaソニー。お笑いが好きで、SMAの芸人さんも好きなのだが、それもまたソニー。グループ会社というだけの話だけど、なんとなーく嬉しい。

 

修理を依頼する時にショップの方から「新たな機種を購入すること」を勧められたが「いまのスマホで気に入ってるので変えたくないです」と言って貫き通した。いまのスマホの本体代も支払っている途中なので、新たなスマホを加えると、しばらくは2台分払うことになってしまうし、まあ営業かノルマか何か分からないけどそういうあれでしょ、とも思った。無料で修理してもらえる(料金が発生するにしても1万円ぐらい)ならそちらだけ選ぶ。

 

画面バキバキに慣れすぎていた。なめらかな画面の操作しやすさよ。あと画面ロック解除するときに動作が変だったけど、画面がなおったからか、その動作も正常になってる。

スマホの寿命は4年前後と聞いたことがある。このスマホはおよそ2年使っているので、残りの2年はもう壊すことなく普通に使い切りたい。

砂利道ではスマホを出さないようにしよう。

好きなように嫌われても、好きなように生きて

SNSは人との距離感が遠いようで近くもある。

知らない人とでも、物理的にどれだけ離れていようが、言葉をやり取りできてしまう世界。簡単に近づき、受け入れ、離れ、拒絶できてしまう世界。

でも優しさばかりで出来てるわけじゃないから、バリアを必要とすることもあるだろう。

それがいわゆるブロックという機能。

 

Xでは少し前から、ブロックしても相手からはポストが見える(逆もまた然り)という仕様変更があったが、とくに自分は気にしていなかった。

しかし突然、この仕様の良くない部分を体感してしまった。

 

「過去に直接会ったことはなく、ネットでも絡んだことは一度もないが、自分は相手の顔を知っている」という人、つまり人前に出てる方にブロックされてることを知ってしまった。

前々から気になっていていつか行こうと思っていたイベント、の、告知情報が流れてきて、それを発信してる人がその人だった。情報が途中で切れてるように見えたので、詳細を求めてその人のホームに飛んでみたら、フォローボタンが無い上に見慣れないシステム的文章が表示された。なるほど、そうですか。こういうことが起こるのですね。こんなの初めてだ。

 

人の好き嫌いってあるよね。合う人ばかりじゃないもんね。わかる、わかるよそれは。

でも、ちょっとモヤモヤはした。

興味を持ってたイベントに出てる方から、拒絶されてるというふうにも受け取れてしまう。

まだ会ったことも言葉を交わしたこともなくて、その人のことについてまだほとんど知らないがゆえに、何かを書き込んだこともない。ネット上での面識も何も、ほんと何もないのに拒絶スタート。いつからスタートしてたのかは分からない。

拒絶スタートされてる方がひとりだけしかいなくても、気にする。忘れておくとか出来ない。そこまで都合よく脳みそが出来てるわけじゃないから。

今後そのイベントに行けたとき、その方は自分の姿を知らないのでパフォーマンスに影響は出ないが、自分は自分にしか分からない気まずい感覚を抱えてパフォーマンスを見なければいけないだろう。その人から意識を逸らす努力をしないと、余計なことを考えてしまう。

このままでは、100の割合で楽しめるはずだったものが、どうやっても80とか90とかになってしまいそうだ。

 

かといって、ブロックを解除して欲しいという気持ちは少しもない。相手は己を守るためにバリアを貼ったわけだから。自分で自分を守ることも大事なことだ。

 

嫌われたくないと思って無難な道を歩いていた時期もあったんだけど、どうせ何をしても誰かには嫌われてしまうし、だったら好きなことして可能な限り自由に生きて、それで嫌われてるほうがいいな、そうしたほうが本当に縁のある人だけが残るだろうから、と思っている。

 

ひとりだけしかいなくても気にする、なんて書いたが、気にするのは実際その場に行った時に意識が向いてしまうのではないかという部分であって、自分が方向転換でもして好かれるように動こうなんてことは気にしないしやらない。

 

好きなように思っていただいて構わない。他人の思考はコントロール出来るものではない。

自分も好きなようにさせてもらう。

 

 

めぐり逢えた

物心ついた時から、80年代、90年代の邦楽をよく聴いていた。

10代前半ぐらいまではロックに偏っていたけど、ある日、当時好きだった有名人のブログを見た時に、中山美穂の「ただ泣きたくなるの」をお勧めしていたので気になり、レンタルショップでCDを探し、家に帰ってすぐ再生した。

スローテンポな曲はあまり好んでなかったが、いざ聴いてみたら「あっ、好き」って思った。高い声が透き通ってるように感じた。

あなたの部屋の前   座りこんだら

なんて静かなの   恋の入り口みたい

歌詞に心が溶けて切なくなった。あの有名人もこのような気持ちで聴いていたのかな、と思ったり、歳を重ねたらまた違う感覚になるのかな、とも思った。

それから、ロックを中心に聴いていた私の中に、音楽の革命が起こり始めた。

 

ただ泣きたくなるの」を先にフルで聴いて、「世界中の誰よりきっと」をフルで初めて聴いたのは、そのあとだった。

サビだけは何度も聴いたことがあって、そこを聴いただけでもすごく惹かれていた。

まぶしい季節が  黄金色に街を染めて

君の横顔   そっと包んでた

聴けば聴くほど、歌詞が素敵で、好きな人達、好きなもの、この世にあるもの、見えてるものがキラキラと輝いて見えた。

まためぐり逢えたのも  きっと偶然じゃないよ

心のどこかで待ってた

好きな人に逢えること。話せること。声を聴けること。共に楽しい時間を過ごせること。笑い合えること。この世に生きてくれていること。同じ時代に生きていること…。

全てが愛おしくて、嬉しくて、幸せなことだと思った。

世界中の誰よりきっと   熱い夢見てたから

目覚めてはじめて気づく  つのる想いに

世界中の誰よりきっと  果てしないその笑顔

ずっと抱きしめていたい  季節を越えていつでも

 

 

世界中の誰よりきっと」を聴いたことで、1990年前後の印象がかなり変わったように思う。ひたすら、カッコ良さばかりを感じていたところに、スパンコールのような、シャンデリアのような、まぶしい光の粒が降り注いだみたいだった。

 

今でも聴いてる定番の曲。

カラオケに行ったら絶対歌ってる。

 

今年に入ってから、人との縁が切れたり遠ざかったり、一方で再び繋がったり、久々に再会できた人もいて、例年よりも慌ただしかった。

「離れても縁があればまた繋がる」というのは時々聞く話だったが、本当なんだなと思った。

また逢えた時は本当に嬉しくて。自分にとって大切な存在だったんだと改めて気づいた。

それでいつも以上に「世界中の誰よりきっと」をたくさん聴いていた。

 

初めて聴いた10代前半頃とは、感覚が異なる。

周りが結婚していく中で、環境も変わっていく中で、焦りは無いけど、物理的に誰かといても独りだなとか、最後に死ぬ時もひとりだよなとか、そんなことを考えたりしていた。

だからこそ人と繋がることの有難みや、表面上の繋がりを超えて、心と心で繋がりあえることの凄さを強く感じていた。

 

世界中の誰よりきっと」を聴いてなかったら、私は人との繋がりなど意識せずにいただろうし、1990年前後の印象も、かなり違っていただろう。

私から見えている世の中を輝かせて、愛を教えてくれた存在のひとつだ。

 

いまは、あのスパンコールのようなシャンデリアのような煌めきが、ひとつの灯りが、

ふっ、と消えてしまったように、とても寂しい気持ちになっている。

 

いや。消えた、ではなくて、遠くなったのかもしれない。

遠く触れられない、見えない場所に、いってしまったんだ。

 

再生機器で曲を再生したらいつでもそこに中山美穂がいる。歌声が聞こえる。この文章も、ずっと「世界中の誰よりきっと」を聴きながら書いている。

確かにこの世に存在していた証明。

存在していた、という過去形を、まだ信じられない。

すべて過去になっていく。

生きている自分は前に進むことしかできない。

こんな大変な世の中でも、大切な人達には、すこしでも長く生きていてほしいと願っている。そしてそれ以上にと言っていいか分からないけど、幸せでいて欲しい。日々が幸せなものであって欲しい。

自分のことは多少どうにかできても、他人のことは、願うことしか出来ない。無力だろうか。いや、願うだけでもきっと意味があると、そう思いたい。

遠く離れたとしても、まためぐり逢いたい。どこかで。