青色茶碗

思考回路をクールダウンさせるために更新するブログ。AM0:00~AM8:00の間に投稿することが多いです。

いつまでも変わらぬ

他人や自分の年齢については、あまり気にしていない。何歳なのか覚えていても、重視はしていない。年齢なんてただの数字だな、と思わせるほど薄っぺらくて心無い人もいるから、年齢より大事なものがあると思っている。

それでも、歳を重ねるにつれて落ち着き、勢いがなくなっていく人達が周りに現れるたび、急に、この人の年齢は何歳だっけなと思う。そして「自分もこの歳になったらこのようになってしまうのだろうか」と薄く考えてすぐ忘れる。

 

その人自身が幸せならそれでいいじゃないか、私には関係の無い人生だろう、と心の中で呟きながら、どこかで軽くショックを受けていたりする。

尊敬していた大人たちはみんな、現状に満足して現実的な話しかしなくなり、夢みたいな会話ができなくなった。

知人に、普段の生活の中で楽しかったことや、これからやりたいことなどを話したとき、驚かれてしまった。楽しそうでいいねとか、やりたいことなんか無いと言われてしまった。半分くらいはお世辞だったかもしれないけど、私を下回らないでくれ。持ち上げないでくれ。私が羨ましくなっちゃうぐらい楽しい日々を過ごしていてくれよ。

 

夢とか楽しいことを誰かに話すことが怖くなっていく。

話せば話すほど、水をかけられていくような感覚になるからだ。現実的な話をされて不可能な理由を突きつけられたり、笑われたりして哀しくなる。こちらの本気度を確かめてるんだと思うには無理がある。

中学生ぐらいからそう思うようになって、より無口になった。心の中に秘めているほうが実現出来ることが多かった。今でも変わらない。報連相が必要な場面を除いて、あまり何でもかんでも話さないようにしている。

 

目に光がなく毎日を消費するだけの大人にはなりたくないと思い続けている。

親戚とか恩師とか、自分より長く生きてる人たちは、少しずつそちら側に行ってしまう。私が彼らを尊敬していた頃の輝きは、失われていく。輪の中で私が異質になってきている。

でも外の世界に意識を向ければ、夢を持ち続けている人達はいる。目に光がある。キラキラしている。

 

たった一年でも変わってしまうものがある中で、何年も変わらずに夢を持ち続け、光に向かって走り続ける人は美しく、輝きを放っている。

どうかそのままでいて。なにかが変わっても、その輝きは。どうか失われないで、奪われないでいて。