思い立ったら、なるべく早く行動するようにしている。出来ればその日のうちに。無理ならば、翌日、1ヶ月以内。何事も、とにかく最短で出来る限りの行動をしている。
急に「ここに行きたい」と思うことがある。
金銭的な余裕や予定などをすぐその場で確認し、それでも「行ける」と思ったら、その日のうちに宿泊先や行くまでに使う交通機関の検索と予約をしてしまう。
予定が詰め込まれてる中でも少しの空白があれば「行ける」と判断するため、弾丸旅行になることも結構あったし、体力的にも金銭的にもギリギリになることを覚悟して行くこともあったが、持ち前の豪運と、ある意味丈夫すぎる体により、危機的状況に陥ったことも、陥りかけたこともない。
自分でもびっくりするほど、行きたい場所にはスムーズに行ける。
ただ、最近唯一、行けない場所が現れた。
それは、とあるお寺だ。
そのお寺に行きたい理由は、ただ何となく行ってみたいと思ったからだった。写真で見る限り美しくて心地よさそうだったし、行くのも決して難しい場所ではなかったので、近々行こうと思っていた。
しかしそう思ってから2週間。なぜかわからないが、ずーっと眠い。
ここ最近は健康的な生活を送れていて、8時間前後は寝てるので、寝不足では無いはずだ。それなのに、ずっと眠い。
休日に行こうと思うのだが、そう思ってアラームをかけても起きられない。なんだか体がだるいというか、重たくて、早く起き上がることが出来ず、やっと起き上がれた頃には日が傾いてたりする。
お寺は急に消えたりしないし、自分がこんなコンディションで行ったところで良くないような気がしたので、私は体を休ませることを最優先にしようと思い、この2週間は行くことを諦めていた。
でも毎日眠いし、せっかちなところがある私は、そろそろ行こうと決意した。
そして昨日。やはりとても眠かったが、だらだらと どうにか準備して、昼過ぎ、お寺に近い駅までたどり着いた。
あとはバスに乗るだけだ。
ネットでいくつかの行き方を調べ、どのページにも出てきていたバス乗り場へと向かい、乗車。
発車を待ちながら、ふと窓に目をやると、他のバスが通り過ぎていった。
そのバスの側面にある電光掲示板には、私が降りる予定の停留所の名前があった。お寺の最寄りである。
バスを乗り間違えた。
でも、今降りたら間に合わないのは確定だ。
急いでバスの行き先を調べる。停留所の場所も調べる。
…間違って乗っているバスも、一応お寺の近くまでは走るようだから、このまま乗っていくことにした。それしかない。そうしないと間に合う道がない。
そして発車。しかし道路はそこそこの渋滞。
さらに気になったのは、車内の様子だった。
友人か恋人か分からないが、離れた場所に片方の人が座り、もう片方の人は立って離れた場所にいた。その立ってる人が車内の前の方に行ったり、その座ってる人のところに向かったりしてる上に、ほかの乗客にも若干ぶつかりながら移動していた。
私はそういう状況が気になってしまう。ぶつかられていた人の心情を気にしすぎて、私は離れたところに座っていたのに悲しくなってしまった。
目に涙を浮かべて固まりながら、ゆっくりと動いている外の景色を眺めてるうちに、お寺の最終入場時間が迫ってきた。
お寺という心落ち着くであろう場所に向かう途中で、こんな気持ちになっているということは、もうお寺側から「こっち来んな!」と言われてるのではないか、と思った。
最終入場時間まであと5分のところで、バス停に到着した。
ここから走っても5分でお寺に辿り着くのは困難だと察した。それに、走れるような道でもなかったので諦めた。
代わりに周辺を散策し、神社を見つけたのでお参りして帰ってきた。
自分がだらだらとしてるから行けないというのもあるのだけど、それでも他の場所に行こうと決めた時はだらだらしたことが無い。
こんなに近くまで来たのに結局行けないというのは、今はまだ行くタイミングではないのかもしれない。帰りも色々あってスムーズに帰れなかったし、本当に今じゃない気がした。
行けなかったことで落ち込んだり腹を立てたりはしたくない。今が行くタイミングではないんだ、と思うほうが穏やかだと思う。
たぶん行ける時は何も心を乱すことがない時だ。それまで一旦忘れて過ごそう。