年始から、SNSとの距離をなるべく置くようにしている。
投稿も控えている。投稿するための140文字を考えるときに、他者の目を気にしすぎて強いストレスになったり、時間がかかりすぎて無駄が増えてると思ったからだ。不器用すぎて、ブログで数百〜数千文字の文章を書くよりも時間がかかってしまう。
ここ最近は、昨日更新したブログに書いた理由から、某局の行方が段々気になり、その情報だけSNSで見ていた。気にしても仕方ないのだが。
ただ、これともまた距離をとりつつある。
当事者でもない人たちが、当事者たちに対して許せないなどと怒ってるような言葉が結構見えてしまった。中には的はずれなことで怒ってる人もいる。
TwitterがXになり、いまもSNSを使う人が多い世の中だとは思う。SNSって結局ネットの世界であり、現実とは異なる。
はずなのに、SNSの力が悪い意味でもでかくなって来ている気がする。
ネガティブな言葉や意見でも簡単に拡散されていく。それは言い過ぎだろ、と思うようなことでもそこに賛同する意見が集まり、バズれば、まるでそのネガティブな意見が全ての代表のように見えないこともない。
言い過ぎだろと思うことに対して反論のリプを飛ばしたら、その反論に対してもまた反論リプが飛び、喧嘩してるみたいになる。
そもそもSNSって、誰かを傷つけない内容であれば、自由に発信していい場じゃなかったんだっけ。
「自由」って、法の下では自由にしていいよ、という意味であり、誰かの自由を奪い傷つけながらやっていいことではないだろう。
自由が行き過ぎて無法地帯のようになりつつあるなあと感じる。何をしてもいいというわけではないのだよ。
私が好きだった頃のSNSの姿はもう無い。化け物に変わってしまった。
「傷つけようが燃えようが燃やそうが何でもあり」
「人やものが何の反応もできなくなるまで、追い詰めて叩き潰す」
「自分と考えが反対の奴は悪」
そんな流れを感じてしまう。
他者を叩くこと、怒りをぶつけることには、なにか良いことがあるのだろうか。
自分とは無関係な他人の怒りに触れたところで、何のメリットも無い。こうしてネガティブな感情を抱くだけだと思う。
楽しいことや自分の人生に集中したいところだ。
とはいえ、私にとってテレビ番組、中でもお笑い番組は、人生の中で当たり前のように存在し続けるものだと思ってる。(誰かを傷つける笑いは除く。)
だからそれらの番組が今後減っていくのではないか、予定にあるものが無くなるのではないかと思ったりしてしまう。考えたくないけど、いまの某局はそんな場合じゃないように見えてしまうから。
もしその想像通りになってしまったら。仕方ないなんて簡単には思いたくない。
そこに本気で人生かけてる人や作り上げてる人がいるはずだから、その人たちのことを思うと、仕方ないなんて言えない。
本気で作りあげたものが他の都合で消されてしまうことは、私も何度も経験してるけど、特に、そこに関わってない人間から「仕方ない」なんて言われたら、何がわかるんだよと思ってしまう。
もう影響は出てるのかもしれない。見えないところで、情報も何もないところで、すでに苦しんでる人がいるのかもしれない。
一番に願うことは、生きていてほしいということ。すぐ近くでも心無い言葉を聞かされて悲しくなってしまった。
誰かが命を絶つことで解決するなんてあってたまるかよ。
人生終わらせないで欲しい。絶対に笑える瞬間は訪れる。楽しい日々はまた来る。生きていてほしい。
メディア全体の問題になってきてるというニュースを見た。
テレビはどうなっていくのだろうか。ラジオも。週刊誌も。
これから大きく変わっていくのだろうか。
変わるなら良い方向に、最良の形に変わって欲しい。