祖母から久々に連絡が来た。
「元気にしてるの?」
「恋人とか作ったりしてるの?」
ザ・親戚といった感じの質問をされて何となく答えていたら、祖母がこんなことを言い出した。
「いつ会いに来るの?」
会いには行きたいんだけど、距離が結構あって、さらに生活のこと考えたらなかなか行くタイミングを作れないんだよね。
「私、最近目が見えなくなってきたの。あと認知症っぽいみたいでね。近くに置いたものをすぐに忘れて、目の前にあるのに探しちゃったりするのよ。」
祖母はずっと自分の中で50代くらいのイメージだった。イメージというだけで、実年齢は知らなかった。年齢以外に大事なことがあると思ってたから知らなかった。
ついでに聞いてもなかったけど、祖母の今の年齢を聞いて驚いた。祖母は、もう還暦など、とっくに超えていた。
「○○(私)は、いくつになったの?」
年齢を聞かれた。これが加齢による物忘れで聞かれてるのか、それとも私が祖母の年齢を知らなかったのと同じように、私の年齢を単純に知らなかったのかは分からなかった。
私は親戚たちのことをあまり愛していない。
どちらかが死ぬ前に会いたいなと思ってなくはないけど、親戚たちと一緒に過ごした時間は、良い思い出の割合が少ない。行くたびに、「もう二度と行かない」と決めて帰ってきていた。
会えるうちに会った方が、人間としてはあたたかいだろうけど、私はそこまであたたかくなれない。
だから、もし周りの人が長期休暇中に帰省しなかったとか、家族と仲が悪いとか話していても、それを否定しないし、形は違えども心の中では共感すると思う。
親戚とは必ずしも定期的に会わなくていいと思ってる。
祖母から「会いに来てくれないと私もうすぐ死んじゃうよ」と言われた。
祖母には申し訳ないが、私はまだ会う気になれない。そもそも、祖母がどの程度私のことを大事に思ってるかが見えない、分からない。大事に思われてる感が無い。複雑な事情があるので説明しきれないけど、まだ今じゃないと思ってる。
祖母とはこんな感じだけど、昔お世話になった人には会いたいと思ってる。
でも、その人の所在が分からない。
連絡しても、通じないだろう。
数年前に知り合いから聞いた話で、もう私のことを忘れてしまったそうだ。
他の人のことも、私が会っていた時期に何をしていたのかも、忘れてしまったと聞いた。
仮に会っても、その人にとって私はすでに知らない人だから、急に来たら困らせてしまうだろう。
それでも私は会いたい。でも周りの人々が許すかは分からない。
まだ記憶があるうちに、普通に連絡を取り合えていたうちに、会いに行けばよかったかもしれないが、お互いのタイミングが合わなければ再会することも叶わない。
子どもだった私のことを心配し、見守ってくれていた大人たちは、いつの間にか高齢者となった。もう会えない人もいる。これからも会えなくなる人は増えて、私のことを覚えてる人もいなくなっていくだろう。
他人の記憶から私という存在が消えていくことがかなしいから、だったら最初から私の存在など薄いものであっていいと思ったりもした。今でも時々思っている。
記憶されることを恐れ、忘れられることも恐れている。
生きてるうちは覚えてもらったほうが良いことが多い気がする。
どうせ最後はひとりになるんだから、今ぐらいは覚えてもらってていいかもしれない。