幼少期の頃から、絵を描くことが好きだった。
小学生の時から漠然と、画家になりたいと思っていた。
でも絵で何かしらの賞をとったことは無くて、図工や美術の成績も特別良いというわけではなかった。
一生懸命描いた文化祭用の絵は「分かりにくい」と言われて勝手に描きかえられてしまったこともあったし、デッサンを先生から褒められても他の生徒からは「影が濃すぎる」と指摘されたり、高校では先生から「もっとこうしたほうがいい」と言われたアドバイスが納得いかなかったりして、長い時間をかけて少しずつ、私の中で夢が萎んでいった。
学校を卒業してから、各地にあるアートギャラリーで作品を出展したことも何度かあったけど、これはなんか違うなと思ったので、それからは やめている。
イラスト投稿サイトにも度々投稿してるけど、自分より素敵な絵を描く人って数え切れないほどいるんだよなぁと思ったりして、自分の絵の良さがよく分からなくなってきている。
たぶん、私の絵にはこだわりがなくて、個性がないと思う。私が描かなきゃ意味が無い、みたいなことがない。気分とその時に浮かんでいるイメージ次第で、私が描く絵の雰囲気は、かなり変わってしまうのだ。
私には絵を描くことが向いてないのかもしれない。好きではあっても、才能はないのかもしれない。
仕事の中で絵を描いて、それを使われることがあるけど、当たり障りない感じの絵なので、そこに個性はほぼない。
絵を描くことに対しては運命的なものを感じないし感じたことがないから、画家という道は違う気がしている。
一方で、言葉には、たぶん切れない縁がある。
そりゃあ言葉は人間にとって必要なものであるから、一生続く関係ではあるはずだけど。
他の人がどうなのかは分からないけど、自分の中では独り言がずっと無限に湧き出ている。実際に声に出してなくても、なにか作業をしていても、歩いていても、寝る直前や起きた直後も。ずっと頭の中で喋ってる。
感想を求められたら永遠に書いてしまう。
高校でほぼ毎週あった誰かの講演会でも、道徳的な話を聞いて感想を書かされていたけど、小さめの文字で何十行も書いて、プリントの裏側まで書いていた。
そんな私に合わせてなのか、最初は感想を書くスペースがA4プリントの半分も無かったのに、最終的にはプリントの8割9割まで枠が広げられていた。
夏休みのボランティア活動の際にも、感想を2週間毎日かいて、先生の記入欄まで侵食するほどかいていた。
そんなに書くならと、先生からボランティア活動についての感想文をコンクールに出してみないかと提案された。
よく見せようとも思わず、本当に感じたことを素直に書いてコンクールに応募したら、県の優秀作品に選ばれた。非が多めの批評みたいなことを書いていたので受賞など全く期待してなかったが、なぜか選ばれてしまった。
その前にも、中学生の時には校内の人権標語コンクールで、思いつきで書いた自分の標語が優秀作品に選ばれていた。
公務員試験を受けようと決めたとき、作文試験の対策はほとんど必要なかった。
お題を見ただけですぐに自分の考えが浮かぶので、文章を組み立てることにも抵抗がなく、時間もかからなかった。作文試験の時間は自分にとってフィーバータイムだった。(面接が倍率高すぎて落ちたけど)
いくつかの学校に配布される新聞みたいなものに、学校代表として作文が掲載されたこともあった。
最近は詩を書いてないけど、詩の雑誌にサイトから投稿したら、何度か掲載されたこともある。
なんか知らんけど文章をひたすら書きまくったら褒められる。
綺麗事を書こうともしないのに。
ひとつひとつの事柄に突っかかって自分の考えを展開していくこともあるのに。
言葉をそんなに多く知らないのに。
未だに知り合いに送るLINEは長文だし、Twitterでは文字数制限の範囲に収めるのも大変で、本当はもっと言葉を知っていれば短く書けるのかもしれないなと思う。
それで、言葉を調べてみるんだけど、やっぱり長くなっても最初のほうが良かったなと思って、書き直さないこともある。
私の個性は、絵ではなく言葉に出やすいのかもしれない。
そして絵を描くのもそれなりに楽しいけど、文章を書くほうがかなり楽しい。
対面で喋ろうとすると言葉が突っかかって出ないこともあるけど、紙やスマホなどで文字を書いていく時はスラスラと言葉が出てくる。あまり考え込むことはない。
私は人の言葉使いにも惹かれやすい。
形式が決まってるような、ビジネス的な言葉を使う人は苦手に感じちゃうけど、そうでない限り、言葉にはその人の性格や考え方、それまでの人生までも表されてるように感じる。外見の美しさだけでは判断できないものがそこにある。
端々まで、羽を広げるように真っ直ぐで、軽やかで、美しく、言葉が紡がれているとキュンとするんだ。
これからも不器用ながら、無知でありながらも、溢れ出る言葉を高速ミシンみたいに打ち続けるだろう。言葉の湧き出る元が枯れるまで。言葉や文字には運命的なものを感じているから。
高速ミシンは言い過ぎかもしれないけど。