人が少しでもなにかをやらかしたら、その点を激しく責めて傷つけたり、
自称「説教」をして、相手が泣いたことを誇らしげに笑い話として話したり、
仲間を作って不満や陰口を話したり。
それらの行いは、一時的に自分が気持ちよくなるだけの自慰行為で、その人自身は前に進んでないし、評価も上がらない。
自分が成長できないこと、結果を出せないこと、思い通りの日々を送れてないことを、勝手に無関係な他人のせいにしてるだけだ。
人を苦しめて傷つけたことを誇らしげに語る人間を、私は相手にしたくないし、視界にも入れたくない。他人の自慰行為なんて好きな人のものじゃなきゃ興奮どころか萎える。
でも「私の視界から姿を消しなさい」とは言わない。
相手はその姿をわざわざ見て欲しくて行動してるからだ。いわば露出狂だ。
露出狂に言葉をかけたなら、相手は「相手にされた!リアクションもらえた!」と興奮して余計に行動が激しくなるだけだ。また同じことを繰り返すために目の前に現れるだろう。
だから私は黙って、視線も合わせることなく、別の道を選ぶか、本当にどうしようもなくなった時には引っ越す。
まあ、何もしてない自分がなぜ引っ越しまでしなければいけないんだよという怒りはあるが、これはあくまで例え話だ。
とにかく、相手にしたくない。好意的に思わない人を相手にしてるほど暇では無いし人生は案外短いのだということを、最近思ったのだ。
勝手に粗探しといてくれ。
でも迷惑だけはかけないでくれ。
陰でヒソヒソやってればいいよ。
それがどれほど無意味な行為なのかは、後々わかる事さ。そうして粗探しのターゲットにしていた人が凄いところまで成長して輝きを放ってる時になったら、気づくのかもしれないし、それでも気づかずに他の人の粗探しをし始めてるかもしれない。
どちらでもいい。
好かない人間がどういようと自分には関係ない事だ。
私からは二度と関わらないから、どうかそちらからも関わらず陰で仲間内でやっててくれ、と思っている、願っている、心の底から。
好きな人たちを大切にして、尊敬する人を見つめて、目の前のことに集中していよう。
やりたいことを全部やる。それぐらいの気持ちで人生楽しみ尽くそう。